2000年度、柳ヶ浦小学校の6年生がまとめた「平和証言集」という本があります。
生々しい証言がたくさん詰まった本です。
初めての空襲は3月18日。
それから毎日のように空襲があり、最大の空襲があったのは4月21日。
一家に一つはあった防空壕。
となりの人が「自分の家には間に合わないから」と入ってきて、隣の家の人の防空壕には爆弾が直撃して、その人一人が助かった、など。
小学校も空爆されました。
講堂は兵隊さんたちが寝泊りしていて、そこも爆破。
いまの体育館の前には、そのキズを残す木があります。
小学校の壁には、機銃掃射のあとも残っています。
証言集を読むと、激しさを追体験できます。
柳ヶ浦には他にもさまざまな戦争遺跡があります。
本にかんたんなイラストマップが付いています。
踏み切りや、エンジン調整室、航空隊の正門跡など。
これは蓮光寺の「生き残り門」
本堂はなくなったけれど、これだけは奇跡的に残っていたということで、「生き残り門」と呼ばれています。
マップには、航空隊の基地があった部分も印があります。
・・・かなり広いことがわかります。
戦後は、食糧難でもあり、基地のコンクリートを少しずつ壊して畑にしていったとか。
・・・・私なら、1uであきらめそう。
どれだけの労力がかかったか想像すると、目眩がします。
当時の航空写真が「宇佐航空隊の世界」にありましたが、戦後すぐはかなり大きな爆弾の跡が残っているのもあります。
今は、その「爆弾池」は一つだけになりました。
これを埋め立てないで残すことにも、相当な努力があったのではないでしょうか。
もしかしたら地元の人間こそが知らないのかもしれない、宇佐の近代史。
ちょっと散策してみました。


生き残り門にある、真一文字の銃痕が印象に残ってます。
あの門以外、付近の建物という建物は吹き飛んだと説明を受けました。生々しくもありますが、傷跡を後世に残す、大事な史跡ですよね。
大事に保存してもらいたいです。
あの辺りは住宅もたくさんあるので、あの門以外焼け野原、という光景を今想像するのは難しいです。
でも、目的地であった航空隊基地からの距離を考えると、空襲の激しさを感じることが出来ます。