2007年08月15日

柳ヶ浦空襲遺跡

現・宇佐市の柳ヶ浦(旧柳ヶ浦町)は、「宇佐海軍航空隊」の基地があったことから、激しい空襲にさらされました。

2000年度、柳ヶ浦小学校の6年生がまとめた「平和証言集」という本があります。
生々しい証言がたくさん詰まった本です。

初めての空襲は3月18日。
それから毎日のように空襲があり、最大の空襲があったのは4月21日。

一家に一つはあった防空壕。
となりの人が「自分の家には間に合わないから」と入ってきて、隣の家の人の防空壕には爆弾が直撃して、その人一人が助かった、など。

小学校も空爆されました。
講堂は兵隊さんたちが寝泊りしていて、そこも爆破。
いまの体育館の前には、そのキズを残す木があります。
小学校の壁には、機銃掃射のあとも残っています。

証言集を読むと、激しさを追体験できます。
柳ヶ浦には他にもさまざまな戦争遺跡があります。
本にかんたんなイラストマップが付いています。
踏み切りや、エンジン調整室、航空隊の正門跡など。

これは蓮光寺の「生き残り門」
SN390032.JPG
本堂はなくなったけれど、これだけは奇跡的に残っていたということで、「生き残り門」と呼ばれています。

マップには、航空隊の基地があった部分も印があります。
・・・かなり広いことがわかります。
戦後は、食糧難でもあり、基地のコンクリートを少しずつ壊して畑にしていったとか。
・・・・私なら、1uであきらめそう。
どれだけの労力がかかったか想像すると、目眩がします。
当時の航空写真が「宇佐航空隊の世界」にありましたが、戦後すぐはかなり大きな爆弾の跡が残っているのもあります。
今は、その「爆弾池」は一つだけになりました。
これを埋め立てないで残すことにも、相当な努力があったのではないでしょうか。


もしかしたら地元の人間こそが知らないのかもしれない、宇佐の近代史。
ちょっと散策してみました。



posted by asu at 00:00| 大分 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 長洲周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今年も企画参加ありがとうございました。

生き残り門にある、真一文字の銃痕が印象に残ってます。
あの門以外、付近の建物という建物は吹き飛んだと説明を受けました。生々しくもありますが、傷跡を後世に残す、大事な史跡ですよね。
大事に保存してもらいたいです。
Posted by ケンジ at 2007年08月17日 09:13
ケンジさん

あの辺りは住宅もたくさんあるので、あの門以外焼け野原、という光景を今想像するのは難しいです。
でも、目的地であった航空隊基地からの距離を考えると、空襲の激しさを感じることが出来ます。
Posted by asu at 2007年08月17日 22:05
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